Question 1
「事実は小説よりも奇なりー一と言われるのは、たいていの場合、事実は平凡で小説が奇であるからこそ、いや、そうないこともあるのだぞ、という警告を込めてのことであろう。
実物よりもそれを写した写真や絵の方が美しく、実在の悪党よりもそれを主人公として描いた小説や映画の中に出てくるそいつの方が、ずっと、悪辣残虐な印象を与えるということがある。芸術の力、言葉の41。
私は永井荷風の小品「春のおとずれ」(明治42年作)を読んだとき、かるい衝撃を受た。生まれてこのかた、何十回もの春の訪れを実験(実際に体験)してきたにもかかわらず、荷風がたった七、八ぺージの文章の中で描写した春の息吹き、鼓動の一万分のーすらも私は実感したことがないということに気づいたのである。
私は荷風の文章一―庭の土の色の変化や庭先に生動する楓や野菊の様子、流れる渡る日の光、風ともつかぬゆるやかな大気の動き、鶯や雀の声、それらの仔細を美しい言葉にのせて綴った文章を読んで、はじめて、訪れる春の本質というものを感じ、かつ知ったような気がした。大自然を凌駕する文芸の力がそこにあった。
私の敬愛する知人の一人が42言った。――「昔、文学をやろうと思ったこともあったが、永井荷風がいるんでやめたよ。荷風があれだけのことをやっているんだもの。おれが何か書いたってかないっこないし、またその必要もないしね。」
はじめ、冗談半分のつくりごとか、照れかくしのための大げさな言い回しかと思っていた。この言葉を聞いてニ十年たち、その間、この人と文学談めいた話は二度と交わしたことはないが、このごろ、あれはホンネだったのだと43。
文筆の才があり、今も若い人たちに慕われている人である。表立ったところには一切ものを書こうとはしない。著書なんかとんでもないという人である。私はこの人は荷風の毒にあたったのではないかと思う。あまりにもすぐれた文芸は、そのつよい毒であとに来る人の意気を阻喪してしまうことがあるのではないか。44明治四十二年いらい、有名作家の筆になるもので、春の訪れそのものを描いた作品はほとんど見当らないようであるか?
(注1)奇なり:不思議である
(注2)永井荷風:20世紀初めから半ばにかけて活躍した小説家
(注3)意気を阻喪する:やる気を失わせる
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