問題 1
人生はいつも旅になぞらえられる(注1)。
人は人生という旅路を、地図もなく歩いている。誰(注2)しもそうだし、それが人間としては自然な姿である。人生に地図などあるわけがない。なのに人は、人生の地図をもとうとするのが常だ。
暗闇の中を歩くのが不安で仕様がないのだ。迷ってしまった時の恐怖を想像したくないからだ。
そして自分の地図には、人生の設計図としてわがままな道程(注3)が記されている。三十歳までには結婚し、三十五歳頃には二人の子どもをもつ。四十歳には課長になり、五十歳までには何とか部長に昇進(注 4)する。
(中略)
人生の地図に描かれた道を、その通りに歩むことができるなら、そんなに楽なことはない。一度も脇道にそれずに、ただまっすぐに歩くことができるのなら、人は何も悩まなくても済むだろう。そんな人生を送る人間は、おそらくこの世に一人もいない。もしそういう人間がいるのだとしたら、それはその人間の人生ではない。<b>その人生</b>は他人から与えられたものに過ぎない。
五十歳の時には部長になっている。これは今という現在地から見た目標であろう。目標をもつことはもちろん大切なことだ。しかし、その目標へ辿り着く道は決して一本ではない。五十歳という現在地に立った時、もし部長になっていなければどうするのか。一枚の地図しか持っていない人、あるいは決して地図を書き変えようとしない人は、そこで人生の現在地を見失って(注5)しまうだろう。「今、自分はこの場所にいるはずなのに、全く違う所に来てしまった」と、そんな思いにとらわれ(注6)てしまい、行くべき道も見失ってしまうのである。
地図をもたない人生が不安であるならば、地図をもてばいいだけのことだ。しかし、その一枚の地図にこだわってはならない。常に現在地を確認しながら、どんどん地図を書き変えていくことだ。
少し脇道に入ってしまったのなら、その脇道を歩いてみればいい。無理をして元の道に戻ろうとしても、余計に迷うだけだ。脇道を歩いているうちに、いつの間にか元の道に戻ることもあるだろうし、また別の大通りに出会うこともあるだろう。人生には数え切れないほどの道があることを知っておいたほうがいい。今いる場所さえしっかりと認識(注7)できていれば、人はどんな道だって歩いていくことができるものだ。
(立松平和『人生の現在地---まだまだ迷っているぞ、私は。』による)
(注1) なぞらえられる:たとえられる
(注2) 誰(だれ)しも:誰(だれ)でも
(注3) 道(どう)程(てい):ここでは、道
(注4) 昇(しょう)進(しん)する:出世する
(注5) ~を見失う:~がわからなくなる
(注6) とらわれる:縛(しば)られる
(注7) 認(にん)識(しき)できる:わかる
筆者によると、なぜ人は人生の地図をもとうとするのか。
【その人生】とは、どのような人生か。
この文章で筆者が最も言いたいことは何か。