문제 1
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私たちは頭の中で「考える」とき、決して論文のように筋道の立った記述のように考えるわけではない。たとえば私の評論を書くときの経験では、論旨のエッセンスとなるような直感とか、ハイライト(注1)部分の「決め」になるようなフレーズ(注2)を思いついたときに「これは書ける」なんてわくわくして思い立つのである。つまり、その瞬間の頭に浮かんだものは、ばらばらな断片と大まかな展望に他ならない。そのピンポイント(注3)の断片と他の断片との間を、スムーズな説得力のある流れになるように継ぎ足していく作業が「書く」という仕事である。
しかし、スムーズにつなぐことに集中しすぎると、もとの目的地から逸れた方向へ論旨が勝手に伸びていってしまうことが、まま(注4)ある。(中略)ひとは書こうとしていたことをきちんと書けるわけではなくて、むしろ積み木のように書き足しているうちに、最初は書こうともしていなかったことを知らず知らずに書いてしまうことが少なくないのである。そのくせ書き上げてしまうと「そうか、自分はこういうことを考えていたんだ」などと思えてくるから<b>不思議だ</b>。
私たちの意識は、言葉とイメージの網の目をふわふわ漂っているようなものである。それが言葉や文章に定着したとき、「考え」というものになる。言葉を抜きにして「考え」は存在しない。順序として「考え」がもともとあったから言葉が出てくるのだと思いがちだが、逆に言葉が出てきて初めて「考え」ははっきりするものなのである。だから言葉の運動が勝手に作り上げてしまった論旨が、いつのまにか自分の「考え」になってしまうという現象が起こるわけだ。
(注1)ハイライト部分:ここでは、重要な部分
(注2)フレーズ:ここでは、言葉や表現
(注3)ピンポイントの:ここでは、中心となる
(注4)まま:時々
筆者によると、書くとはどういうことか。
【不思議だ】とあるが、なぜか。
筆者の考えに合うのはどれか。