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JLPT

문제 3

 (3)  今の若い人は、ある程度完備した科学社会に生まれている。携帯電話もカーナビ(注1)も当たり前になった社会である。発展の過程を見ていない彼らは、どういった原理でそれらが機能しているのかを知らない。知らなくても、その恩恵を受けることができる。充電さえしていれば、誰とでもいつでも連絡がつくと信じている。電波がどんなもので、どのような設備によって成り立っているのかを知らない人が多い。十数メートルしか離れていない場所なのに、携帯電話が通じなくなることがあるなんて、考えてもいないだろう。   こういった「科学離れ」については、昔から問題意識があった。だから、子供たち向けに科学を教育するシステムをいろいろな形で模索(注2)してきた。けれども、<b>僕が感じることが一つある</b>。そういう教育をしているのは、科学が好きな人たちだ。だから、口を揃えてこう言う、「科学の楽しさを子供たちに知ってもらいたい」と。この言葉を聞くたびに、「楽しさ」を押し付けている姿勢を感じずにはいられない。   読書の楽しみを知ってもらいたい。スポーツの楽しさを感じてもらいたい。他の分野でも、こういった姿勢は根強い。しかし、科学の場合は、そんな悠長な(注3)問題ではない、と思うのだ。読書やスポーツが嫌いな人は、それをしなくても良いだろう。楽しみは、ほかにいくらでもある。しかし、科学を避けることは、この現代に生きていくうえではほとんど無理なのである。(中略)もはや(注4)、好きとか嫌いで片付け(注5)られるものではない、ということだ。  (森博嗣「科学的とはどういう意味か」による)  (注1)カーナビ:自分の車の位置を知らせながら道案内する措置  (注2)模索する:探し求める  (注3)悠長な:のんびりした  (注4)もはや:今ではもう  (注5)片付ける:済ます

筆者は、今の若者をどのように見ているか。

【僕が感じることが一つある】とあるが、何を感じているか。

筆者の考えに合っているのはどれか。