문제 3
(3)
お祭りの日は町の募囲気が一変 (注1) して、ふだんひっそりとしている町並み(注2)がいきいきとしています。そんな町の様子を「祭りがある町」として撮る。神社の境内(注3)で行われるような祭りであれば、「神社」の風景として撮る。というふうに少し視点を周辺にずらしてみると単なる祭り写真ではない写真に出会えます。祭りの中から自分だけの祭りを探し出すことができるかどうか。写真を見た人から、こういう祭りの見方もあるんだねと言われるような写真が撮れたら「祭りの写真」ではなく<b>写真として内容のあるもの</b>になると思います。
(中略)
「もう何年もかけて撮ってるんだけど、いい写真が撮れなくてね」とぼやく(注4)人がいますが、そういう人は頭の中で思い描いた「上手い写真」の構図(注5)から離れることができずにいて、すでにいろいろと見慣れている同じような画像を撮らされるだけだからなのです。
ねらった被写体(注6)を自分のものにするのだと独占する強引さがないと、被写体が刺激的であるほどその場にふりまわされてしまいます。祭りなら激しい動きに、絶景(注7)なら色彩にのみこまれて被写体に撮らされているみたいになる。
被写体に撮らされてしまうような写真は、結局その場の説明でしかない。表現としての写真は自分だけの写真を撮ることになるわけで、それはフィクションでもあるのですから、つねに「私はこう見た」「私はこう撮った」を撮るのです。
(注1) 一変する : すっかり変わる
(注2) 街並みここでは、町の様子
(注3)境内: ここでは、敷地内
(注4) ぼやく: 不満を言う
(注5) 構図: 画面の構成
(注6) 被写体: 写真に撮る対象
(注7)絶景: 素晴らしい景色
【写真として内容のあるもの】とはどのようなものか。
写真を撮ることについて、筆者が言いたいことは何か。