Câu hỏi 1
眺めていると、東京の空には意外にたくさんの鳥が飛んでいる。カラスやスズメばかりではない。カモメもいるし、ぼくには種類のよくわからない鳥もいる。それらは町や人家に「適応」した都市鳥ではなく、野生の鳥である。そのような鳥が、コンクリートのビルの上を何事もないように飛び、何の屈託もなく、ビルの一角にとまる。まるで森や林の木の枝にとまるように。
(中略)
ツバメが人家の軒先に巣をつくるのは、スズメを避けるためだということを明らかにした研究がある。スズメはふだんはあまり人間を恐れないが、ひなを育てるときは人間を避ける。だから、人がひんぱんに出入りする店先などには巣をかけない。ツバメはそれを利用する。そういう店先の軒に巣をつくれば、嫌なスズメはやってこない。昔、ツバメがたくさん巣をかけると、店は繁盛するといわれた。話は逆であって、繁盛している店にツバメが集まってくるのである。
今、大都市にはツバメがめっきり少なくなった。かつてのように、どの通りを歩いていても、子育てのために餌(えさ)を持ち帰るツバメが飛び交う姿は見られなくなった。おそらくツバメたちは、町そのものの作りや、人間の存在が嫌いになったのではないだろう。町が人工的にきれいになりすぎて、餌(えさ)にする虫があまりにも減ってしまったので、町ではひなも育てられなくなったから、都会には棲(す)ま(注1)なくなったのである。
こういう事例を見ていると、自然保護とか自然との共生ということについて、少し考え直す必要があるのではないか、という気がしてくる。
<b>多くの動物たちはわれわれが思っていたよりもずっとしたたかである}</b>。自分たちの生活の基盤になる条件さえそろっていれば、たとえその条件が人工のものであろうとも、そしてそこをたくさんの人間がうろうろしていようとも、平気で棲(す)みついてしまう。カラスやツバメのように、人間がいることをむしろ利用しているものだって、けっして少ないとはいえない。都市周辺で急速に増えつつあるタヌキやキツネもその例である。人間がいるおかげで豊富な食物がたやすく手にはいるようになった。命がけで食物を探す必要はなくなったのだ。
けれど、都市化によってツバメは餌(えさ)を失なった。モンシロチョウ(注2)は日なたを失なった。そうなったら出ていく他はない。
水面に浮いて生活するアメンボ(注3)は、水が汚かろうと富栄養化(ふえいようか)(注4)していようと一向にかまわない。彼らにとって重要なのは、水の表面張力だけである。たとえ化学的に無害な物質によってでも、水の表面張力が低下すれば、彼らは溺(おぼ)れてしまう。
やたらと動物たちに遠慮することはないのかもしれないが、それぞれの動物にとってのこのキー・ポイントは侵してはならない。
(日高敏隆『春の数えかた』による)
(注1) 棲(す)む:住む
(注2) モンシロチョウ:チョウの一種類
(注3) アメンボ:昆虫の名前
(注4) 富栄養化(ふえいようか):栄養のある物質がたまり、小さい生物が異常発生する状態になること
ツバメが人家の軒先に巣をつくる理由として適当なのはどれか。
筆者によると大都市でツバメが少なくなったのはなぜか。
【多くの動物たちはわれわれが思っていたよりもずっとしたたかである】とあるが、どのような点でしたたかだと筆者は考えているか。
この文章で筆者が言いたいことは何か。